母の祖母への想い
2003年1月6日祖母が亡くなってから
毎日夜になると
自分がいかにいい孫じゃなかったか
どうしてもっと連絡をとらなかったのかと
その罪の深さに圧倒されて眠れなかったけど
初七日も終えて
もう早や、段々そんな思いも薄れてくる。
・・・死ぬのって、さみしい。
私でさえこんなに後悔の嵐なのに
母は、どんなだろう?
私は、知っている。
母が祖母にどんな仕打ちをしていたか。
祖母が病院に入ってから
私がお見舞いに行ったのはたった一度だったけど
そのときにかなりのショックをうけた。
変わり果てた祖母の姿にも驚きを隠せなかったけど
その祖母に対する母の仕打ちにショックを受けた。
ぺちぺちとほっぺたを叩いたり
腕が痛いと訴えているのにさっさと着替えろと怒ったり
うちにつれて帰ることは出来ないから、施設に入れることはできないかと
祖母の前で病院の職員の人と平気で話したり
仲の悪い母の弟の悪口を言いまくったり。
見ているのが辛かった。
何も実の母親にこんな扱いをしなくても。
私たちがいる前でもこうなのだから
いない所ではもっとひどいことをしていたに違いない。
祖母はストレスがたまっていたのだろう、
自分の排泄物を壁中にぬりたくったり
明日退院という人にお茶碗を投げつけたり
していたらしい。
お願いだから、もうちょっとやさしくしてあげて。
何度もそう母親に言おうとしたか知れない。
でも介護という問題に
何もしていない、経験もない私が口を出せないと
あえて何も言わなかった。
そんな中で、祖母はあっけなくこの世を去った。
私は・・・
祖母には悪いけれど
母が心配だった。
どんなにか生前の祖母にしたことを悔やんでいるかと。
その後悔の大きさに打ちのめされていないかと。
かけつけた私の前で母は、
しっかりとしていて
通夜や葬儀の準備をせっせとしていた。
結構平気なんだ、そう思った。
でも私と妹に、祖母の思い出話をしていた時にぽつりと言う。
「あなたたちに変わり果てたおばあちゃんを見せるのが切なくてねえ。」
・・・そうなのだ。
きっと母は、私たちの前だからこそ
私たちに昔のしゃんとした祖母を少しでも見せたかったからこそ
祖母に対してあんな扱いをしたに違いない。
実際のところは分からないけれど
そういう解釈を手に入れたことで
私は少しだけ胸のつかえがとれた。
毎日夜になると
自分がいかにいい孫じゃなかったか
どうしてもっと連絡をとらなかったのかと
その罪の深さに圧倒されて眠れなかったけど
初七日も終えて
もう早や、段々そんな思いも薄れてくる。
・・・死ぬのって、さみしい。
私でさえこんなに後悔の嵐なのに
母は、どんなだろう?
私は、知っている。
母が祖母にどんな仕打ちをしていたか。
祖母が病院に入ってから
私がお見舞いに行ったのはたった一度だったけど
そのときにかなりのショックをうけた。
変わり果てた祖母の姿にも驚きを隠せなかったけど
その祖母に対する母の仕打ちにショックを受けた。
ぺちぺちとほっぺたを叩いたり
腕が痛いと訴えているのにさっさと着替えろと怒ったり
うちにつれて帰ることは出来ないから、施設に入れることはできないかと
祖母の前で病院の職員の人と平気で話したり
仲の悪い母の弟の悪口を言いまくったり。
見ているのが辛かった。
何も実の母親にこんな扱いをしなくても。
私たちがいる前でもこうなのだから
いない所ではもっとひどいことをしていたに違いない。
祖母はストレスがたまっていたのだろう、
自分の排泄物を壁中にぬりたくったり
明日退院という人にお茶碗を投げつけたり
していたらしい。
お願いだから、もうちょっとやさしくしてあげて。
何度もそう母親に言おうとしたか知れない。
でも介護という問題に
何もしていない、経験もない私が口を出せないと
あえて何も言わなかった。
そんな中で、祖母はあっけなくこの世を去った。
私は・・・
祖母には悪いけれど
母が心配だった。
どんなにか生前の祖母にしたことを悔やんでいるかと。
その後悔の大きさに打ちのめされていないかと。
かけつけた私の前で母は、
しっかりとしていて
通夜や葬儀の準備をせっせとしていた。
結構平気なんだ、そう思った。
でも私と妹に、祖母の思い出話をしていた時にぽつりと言う。
「あなたたちに変わり果てたおばあちゃんを見せるのが切なくてねえ。」
・・・そうなのだ。
きっと母は、私たちの前だからこそ
私たちに昔のしゃんとした祖母を少しでも見せたかったからこそ
祖母に対してあんな扱いをしたに違いない。
実際のところは分からないけれど
そういう解釈を手に入れたことで
私は少しだけ胸のつかえがとれた。
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