プライオリティとアイデンティティ
2006年9月28日すっかり間が空いてしまった。
mixiなどと違って、気軽に書ける日記のはずなのになあ・・・。
秋は学会シーズン。
そして活躍する知人たちを横目に、私は相変わらず冴えない。
そんな冴えない自分に、再び落ち込んだりしている。
それにしてもこうやって落ち込んでばかりなのは、自分の性分なのだろう。
なるべく早く博士論文を書いて、
テニュア(終身在職権)を獲得して、
助教授になる。
これを最優先してきた結果がコレだ。
とにかく早く、経済的にも地位的にも安定することが第一だった。
それはとりあえず達成された。望んでいた以上に。
しかしそのためには、一旦専門分野と関係のない職について
研究者としてのアイデンティティを犠牲にすることが必要だった。
たとえ本来の専門分野の論文さえ、まったく読めない日々が続いても
テニュア獲得のためには、業績が2・3本多いことよりも、
任期付だとしても常勤職を経験しておくほうが、
ずっと有利だと分かっていたので。
結果的に、この選択は正しかったと今でも思う。
常勤に着く前にしか自由に研究ができない、というのも1つの考えだけれど
これほどまでに一人前になるのに時間もお金もかかり、
競争はすさまじく厳しく、特に女性研究者は1割という状況で
一生研究者として生き残っていくためには、
とにかく早く最初のテニュアを獲得すること。
これが何にも優先するのだという信念は、常に一貫していた。
というか、指導教官がその信念を植えつけてくれた。
実際、今、人事にかかわることになって
やはりなるべく若く、できれば他大学での常勤の経験がある人を
採用しようとする傾向が強いことを目の当たりにするにつけ、
上記の信念はさらに強化されている。
だから。仕方なかったことなんだ。
いや、私がもっと実力があって、器用だったら、
テニュア獲得も実力をつけることも、平行して進められたんだろうけど。
私には実力がなかったので、無理だったんだ。
そう納得しているのだけれど。自分のせいだと分かっているのだけれど。
専門から離れていたダメージは想像以上に大きかったらしい。
実力面で、大きく水をあけられてしまったなあ、と実感。
取り戻すのにいったいどれくらいの時間がかかるのだろうか。
無駄にした2年半を、がんばれば半年くらいで取り戻せるだろうか。
mixiなどと違って、気軽に書ける日記のはずなのになあ・・・。
秋は学会シーズン。
そして活躍する知人たちを横目に、私は相変わらず冴えない。
そんな冴えない自分に、再び落ち込んだりしている。
それにしてもこうやって落ち込んでばかりなのは、自分の性分なのだろう。
なるべく早く博士論文を書いて、
テニュア(終身在職権)を獲得して、
助教授になる。
これを最優先してきた結果がコレだ。
とにかく早く、経済的にも地位的にも安定することが第一だった。
それはとりあえず達成された。望んでいた以上に。
しかしそのためには、一旦専門分野と関係のない職について
研究者としてのアイデンティティを犠牲にすることが必要だった。
たとえ本来の専門分野の論文さえ、まったく読めない日々が続いても
テニュア獲得のためには、業績が2・3本多いことよりも、
任期付だとしても常勤職を経験しておくほうが、
ずっと有利だと分かっていたので。
結果的に、この選択は正しかったと今でも思う。
常勤に着く前にしか自由に研究ができない、というのも1つの考えだけれど
これほどまでに一人前になるのに時間もお金もかかり、
競争はすさまじく厳しく、特に女性研究者は1割という状況で
一生研究者として生き残っていくためには、
とにかく早く最初のテニュアを獲得すること。
これが何にも優先するのだという信念は、常に一貫していた。
というか、指導教官がその信念を植えつけてくれた。
実際、今、人事にかかわることになって
やはりなるべく若く、できれば他大学での常勤の経験がある人を
採用しようとする傾向が強いことを目の当たりにするにつけ、
上記の信念はさらに強化されている。
だから。仕方なかったことなんだ。
いや、私がもっと実力があって、器用だったら、
テニュア獲得も実力をつけることも、平行して進められたんだろうけど。
私には実力がなかったので、無理だったんだ。
そう納得しているのだけれど。自分のせいだと分かっているのだけれど。
専門から離れていたダメージは想像以上に大きかったらしい。
実力面で、大きく水をあけられてしまったなあ、と実感。
取り戻すのにいったいどれくらいの時間がかかるのだろうか。
無駄にした2年半を、がんばれば半年くらいで取り戻せるだろうか。
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