色々と考えてみる

2003年4月9日
今週は,プロジェクトのため5時半起きで大学へ行き
さんざん動きまわって,さらにPCに向かって打ち続けて
疲れ果てて夕方へとへとになって帰ったら
週末までに仕上げるためにはおそろしいほど
作業をしなければならない
博論が待っている。

他の執筆者は博論に専念しているようなので
かなりアンフェアだーとか思ったりするが
でもこの2年私は学振の特別研究員だったため
ほとんどバイトもしないで研究に打ち込んでこれたわけだから
そういう意味では断然私の方がラクだったわけだ。
要するに,これまでの生活に慣れきっていて
ひどく怠け者で弱くなっていただけなのだ。

「もう,義務がないのにお金がもらえるっていう状況は,
やめた方がいいんじゃない?」
と,私が次は学振に採用されるぞー!と息巻いているときに
旦那がぽろっといったことがある。
そのときは,その意味が分からなかったけれど
今なら分かる。

もう次の申請はやめようかと思う。
学振は,採用されたことがあると大きな経歴になるのだが
一度すでに経歴はゲットしたわけだから
もうこういう自分をだめにするような状況には置いてはいけないと思う。
きっとね,採用されたんだからますますがんばろー!
とがんばれる人もいるのだろうけれど
私みたいな意志が弱い人間は,ダメだ。

というわけで,あとはひたすら大学の常勤職を探そうと思う。
教えることは大好きで
しかも大学教育にかなり興味があるので
きっと自分に向いているだろうと思い始めている。

無意識の不安

2003年4月7日
論文はまあ順調。
もう最終的なモデル図も仕上げたし
あとは最初から最後までの流れを意識して整えて
週末に旦那に誤字脱字チェックをしてもらって
来週月曜に先生に提出すればよし。
書くのは苦しいけど,その苦しさをどこか面白いと思っている自分もいて
やっぱり論文書くのは割と好きかも,と思ったりする。

プロジェクトの方も自分の役割を果たせていると思うし
こんな感じで,博論執筆とプロジェクトが重なって忙しい割に
まあ毎日楽しく暮らしてる,
と自覚している。
・・・いや,していた。

なのに。
身体は正直だ。
婦人科系を中心として,なんだか身体がいつもと違うのだ。
そういえば,歴代の先輩達,
博論執筆&審査中は
皆必ずといっていいほど体調をものすごく崩していた。
最近まで,私はそうでもなさそうだな〜
なんて思っていたけれど,
「自分の一番弱いところから体調を崩す」という先輩のことばは
やっぱり納得かも。

原因は何か。
やっぱり,将来が見えないことの不安だ。
私は,こういうのにとことん弱いらしい。
いや,D論書いた後のことが決まっていないが
まあいつかは決まるだろうと,楽観的に構えているつもりだった。
でも,無意識に,今後自分はどうなるのだろう,
といつも悩んでいる気もする。

思い返せば,学振に落ちた時点で
自分の思い描いていた将来のコースが
少しずれてしまった。
落ちたのは自分の能力不足だけど
でも採用されるのはほんのひとにぎりで
そのほかの人は,皆こんな不安と戦いながら研究をしているのだ。
みんな同じ条件。
人生思い通りになんていかないもんだと
そろそろ頭を切り替えないと。

お花見だー

2003年4月4日
午前中は家で論文作成
昼から,プロジェクト関係の打ち合わせ2件
夕方から隅田川沿いで旦那と花見。
(プロジェクト打ち合わせが長引いて,私は30分遅刻)
ちょうど満開で,大満足。
夜は牛角で焼肉三昧。
NICOSの1000円引き件を持っていたというのもあるが
おもいっきり食べて飲んだのに安かった〜
こういう努力をしている店って,
また来るわ〜という気になる。

その後木場のよーかどーでジェラートを食べて
スタバでコーヒーを飲んで
タクシーで帰ってきた。


旦那のおごりだし
たまにこういう日があるといいなー
リフレッシュリフレッシュ!

結局

2003年4月1日
不平不満だらけの自分がいやになり
覚悟を決めて先生に
「プロジェクト精一杯やらせていただきます!」
と言って来た。

結果,
「博士論文を優先してくだすっていいのよ」
という言葉をゲット。

やりぃ〜!

必要とされているということは
嬉しいことだ。
まだまだ余裕はあるはずなので
がんばろう。

疲れた

2003年3月31日
決断が迫られている。

やはり先生はプロジェクトで頭がいっぱいで
ほんのわずかなお金でとことん私を酷使しようとなさっている。
それでもやっぱり博士論文を優先しようとする私に、
プロジェクトのRAは「仕事」なんだから
しっかりやってもらわなきゃこまる、
という内容のメールを寄越してきた。
「仕事」って言われても・・・
時給に直したら、マックのバイトより悪いじゃん。

この状況があまりに苦痛で
早く逃げ出したいがために、D論を早く仕上げよう、
そればかり考えてきた。
でも、D論を早く書いてもその後の就職があるわけでもない。
そうすると、このプロジェクトにいやでも関わらなきゃならなくて
そうなると学生ではないのでRAになることもできず
無給で酷使される。

ああ、どう転んでも、もう最悪なのね。
でも、すべては自分のせいだ。自分が悪い。
学振に落ちた時点で、こういう運命だったのだ。
能力がないものは、こういう扱いを受けなければならないのだ。

もう先生に抵抗するのも疲れた。
がんばってD論書いても
先生の業績になるというのに認めてもらえず
それどころか、D論審査を優先したがために
プロジェクトの方がおろそかになった、とかいわれかねない。
それで、心証を悪くして、就職も振ってもらえなくなるんだ。

本当に疲れた。
D論をがんばって書いていてもむなしくなる。

もう、あとは発想の転換をするしかないのか。
プロジェクトに関わることによって
私自身の新たな研究分野を切り拓くことができて
もしかしてそれで業績も増やせるかもしれないから
お金なんて二の次で、自分の研究として全力投球しよう、と考えるしかないか。
そうするためには、D論を延ばすしかないのだが。

もうそれでもよくなってきた。
先生との関係が良好なのが一番大事なのかもしれない、この世界。
こんなこともあるさ、と割り切るしかないのかもしれない。

しかしD論、ここまで書いていて延ばすなんて!
90%は仕上がっているのに!
悔しすぎて泣けてくる。
・・・仕方がない、自分のせい、自分が悪い。

披露宴

2003年3月30日
友達の結婚式&披露宴に出席。
旦那に手伝ってもらって
ホットカーラーで巻いた髪がいい感じで
かなり満足。
思いっきりおしゃれして出かけた。

花嫁さんはかわいらしかったし
久々に知り合いにも会えたし
とても楽しかった。

でも花嫁さんが院生なので
ここは学会会場か??というくらい
教授とか助教授だらけだった。
でも大変おえらい先生が気さくに話してくださったりして
かなり嬉しかった。

帰宅して少ししてから
近くの公園へ旦那と花見に行く。
5分咲きといったところか。
来週は満開だろう。楽しみ。

その後帰ってから勉強を始めたのだが
おなかの中に鉛を飲み込んだのかというくらい
耐え切れない鈍い痛みに襲われる。
この異物感、どう考えても食中り。
結局朝方まで呻いていた。
あーつらかった。
しかし、今日食べたものといえば、
ほとんど披露宴でのコース料理のみ。
どの料理があったのだろう?
私だけ??

独裁者おそるべし?

2003年3月28日
なんだかうちの大学院の学科
来年の4月に主要な先生がかなり抜けるらしい。
移っていく先生方は,
かなり精力的に研究をなさっている,著名な方ばかり。
中には,出身大学へ呼び戻される先生なんかもいるのだが
大半の先生は,その後の行き先が
「なぜそこへ??」という大学だったりする。
いや,大学のレベルがどうこうというわけではなく
この分野でその大学の業績って,聞いたことないぞ?
という大学。

なぜだろう?
うちの大学のうちの学科は貧乏だが
それなりにこの分野では盛んな学科で
先生だけは優秀な人がそろっていて
最近COEにも通って,5年計画で大プロジェクトが
いくつも立ち上げられたばかりだと言うのに。

私立大学が,巻き返しを図って,
いい条件で引き抜いていった,という説も有力だが,
他の理由として一番考えられそうなこと。
やはり,うちの指導教官と仕事をするのがいやになったのではないか。
うちの先生,もともとかなり独裁的なところがあったのだが,
今回COEのトップになったことでますます独裁度がアップして
もう他の先生は,耐え切れないよ〜と逃げ出したのかもしれないなあ。

確かに分かるかも。
私は師弟関係にあるわけだから,こんなもんだと諦められるところがあるけれど
同僚となるとあまりの理不尽に納得がいかないということになるのかも。
これまでも,いざこざを結構起こしていたしな。

さあ,うちの学科は,今後どうなっていくのでしょうか?
もうすぐ出る(つもりの)私としては
傍観者的に面白がって眺めたりしている。

イチゴ大福

2003年3月25日
旦那と仲直りしたのだが
そのきっかけ,それは・・・

旦那が私の大好きな和菓子を
山のように買ってきたこと。
しかも和菓子屋が閉まる前にと
早めに会社を出て買ってきてくれたらしい。

まったく・・・
食べ物でつろうと考えるなんて
旦那はなんて単純なんだ。

・・・いや,それに引っかかる私の方が
100倍単純か・・・

だってだって〜
イチゴ大福が恐ろしくおいしかったんだもーん

愚痴のオンパレード

2003年3月24日
あームカムカムカ。

昨夜、諦めてしまって何も話さない自分も悪いよなと思い
旦那に今の自分の不安な気持ちを相談した。
博論が終わらなかったらどうしようって不安だと。
また、旦那がぴりぴりしていて、ちゃんと話し合いができないのは嫌だと。

すると彼は、TV見たりマンガ読んだりしているくせに、
何を言っているんだと怒った。
弱音をはいちゃいけないの!?と尋ねる私に
ダメだ、と言い切った。
また、ぴりぴりしているのはそっちの方だろう!
自分は絶対そうではない、と言い張る。

おそらく、昨夜私が勉強の息抜きのために
マンガ「エースをねらえ」全18巻を
奥の部屋から出してきたのを目撃し
私が夜中に全部読んでしまったと勘違いしているに違いない。
いちいち取りに行くのが面倒だから一気に運んだだけで
まだ1巻しか読んでないんですけど・・・
ちょっとずつ息抜きに読んでいくつもりなんだけど。
でもアホらしすぎるので、誤解をとかないでそのままにしておいた。

まあTV見ているのも確かだけどさ。
でも私の中では、そうやってバランスをとっているつもり。
旦那は週休2日しっかりとっているけど(しかも今回は3日!)
私は年中無休なのだ。
旦那が週5日でやっている仕事量を
私は7日に分散してやっているだけにすぎない。
だから、全てが嫌になって投げ出さないように
調整しているのに〜

まあそれも言い訳かもしれないけどさ。
私がもっとがんばれるはずというのは確か。
それは自分でよーく分かっている。
旦那に言われることじゃないさ。
それに、博論は客観的に見て順調で
普通にがんばれば終わると踏んでいる。
でも、やっぱり期限が迫ると不安になるんだい。
だから、ただただ聞いてほしいんだい。
一番相談したいことを一番相談したい人に
聞いてもらえないという事実が痛いな。

しかも理系の人って、Dに行ったら普通に博論なんて書けるもんだって
どこか軽視しているところがある。
理系である旦那もまたしかり。
でも、文系の博論は、理系とは違って、かなり大変なんだぞ〜
ってことが全然分かってもらえない。

それに、社会人として私のできない仕事を
旦那はたくさんできることは認めるけど
研究に関してだけは、論文書くことに関してだけは、
いくら旦那も研究職だからといって
私の方が専門家だという自負があるもんだから
その辺をさわられると、最もむかつく。

でもなにより打ちのめされたのは
今まで信じて疑わなかった旦那の気持ちかな。
これまでに増して、あまりに冷たい言葉の数々に
私に対する愛情はもうないのかもしれない、
という考えが初めて浮かんだ。

私はとにかく自分を愛してくれる人でなきゃだめだという
大変自分勝手な人間なので
もうあなたには、用はないわ・・・
と冷めた気持ちで旦那を見つめるようになってしまいそう。
おそらく、もしも旦那と別れても、
私は全く気持ちを彼に残さずに、
普通に誰かと結婚して彼のことを思い出さなくなるに違いない。

うーん、私って、つくづく恐ろしい人間だ。

かなしい

2003年3月23日
旦那に対して
少しずつあきらめが蓄積してきて
なんだか悲しい。

彼は仕事の愚痴など一切言わない人で
私がよっぽどつっこんで訊かないと
仕事のことを何も話さない。

それは彼のポリシーなのだろうし偉いとは思うけど
私はそんなこと、全く望んでいない。
何も話してくれないことに、
私には気を許せないのかと悲しくなる。

そして彼は自分も言わない代わりに
私の愚痴も聞かない。
いや、毎日一応「今日はどうだった?」と
私に質問するのが習慣となっているけど
いざ私が話し出すと、途中から明らかに聞きたくなさそうにしている。

私はどんなささいなことでも共有していきたいし
これまでは私の話を聞いて聞いて!って感じだったけど
段々むなしくなってきた。
途中で聞きたくなさそうな顔をされるのが嫌で
最初から話さないようになってしまった。

夫婦はとにかく話し合うことが大事、
ちゃんと話し合えば、なんでも解決できる。
私のポリシーは、それだったのに。
それはちゃんと彼にも伝えていたのに。
面倒なのだろう。あからさまにそんな顔をするときがある。
しかも、はっきりとそう口にしないところが
ますます憎たらしい。

前はそれでもがんばって話していたけど
もう段々とその気力もなくなってきてしまった。
適当に流され続けていると
諦めの気持ちの方が大きくなっている。

段々、これじゃ今後どうなるんだろうという重いが蓄積して
最近じゃ彼が寝た後、一人泣いたりしている。
一見やさしそうに見えるが彼は案外冷酷で
私が本気で泣いていても、
口先だけの言葉はかけるが、いつも面倒だという気持ちが前面に現れている。
なので、彼の前じゃ絶対泣かないぞ、と誓っている。

こんな風に諦めるつもりはなかった。
でももう私も、くだらない話だけしかしなくなった。
一番話したいことを、話さなくなった。

表面だけうまくいっていればそれでいいという彼の考えを
くつがえすほどの努力ができるほど
私も余裕があるわけではない。
このまま何となく忙しさにまぎれていくのだろう。

子どもがほしいと心から思うけど
これが続くようなら保留だなと思い続けて
はや数ヶ月。
その日はやってくるのだろうか?

滑稽なもの

2003年3月22日

世も末だ、と思いつつ

やっぱり目の前のD論にせかせかしている自分。


打ち合わせ

2003年3月18日
今日と明日は、まだプロジェクト関係の打ち合わせが残っていて
そのために大学へ行かねばならない。

最近また、夜型に戻っていて
朝寝て昼起きる生活になっていた。
でも今日は朝早かったので
朝寝ないでそのまま学校へ。
つ・・・つらい・・・

今日の先生はご機嫌で
何だかしゃべりまくっている。
早く済ませてしまいたかったのに
先生が今日行う講演の予行演習まで聴かされた。
でも、これはかなりためになる内容だったので、
結果的にはよかった。

それにしても、先生はこういう講演で話すような話が
本当に上手だ。
聞く人が何を知りたがっているかをよく分かっていて
しかもそれを色んな種類の話題と関連づけて
ぐいぐい聴衆をひきこむ。

先生は、授業もすごく上手だ。
そういえば、学部1年生のとき、私は先生の授業を聴いて
この学問の面白さにすこし目覚めた。
そのときのことを覚えていて
卒論の研究室を決める時は、この先生以外は考えられなかったのだった。
こんなに長い付き合いになるとは、
そのときは夢にも思っていなかったのだけれど。

よーく話の内容を見ると
引用する知見が偏っていたりするということが
最近の私には分かるようにもなってきたが
やっぱり、話術って、才能だなあと思った。
昨日は旦那は仕事関係で出かけていたが
今日は空いているというので
映画に行ってきた。
so-netが丸ビルとのコラボレーションイベントを今月行っており
so-net会員に抽選で映画試写会に招待、というメールが来た。
ものすごく久しぶりに映画もいいかな、近いし、何よりタダだし、
と思って気軽に応募したら、当選。
という訳で、行ってきた。

「ダブル・ビジョン」という台湾と米国の合作映画で
まあタダにしては面白かったと思う。
でも旦那は、SFが入っているものを毛嫌いする傾向があり
あまり面白くなかったらしい。

その後B1でケーキを買って帰った。
前にも買ったことがある一番大きなケーキ屋で買った。
他にもたくさんあるのに、なぜかそこで買ってしまう。
大しておいしくないのに。
店構えがおしゃれだからかな?

帰って夕食後食べたけど、
ほんとに見かけはいいのに味はイマイチなのだ、ここのケーキは。
最近芸術作品の域に達しているような、
おいしいケーキを作るお店がたくさんある中
これはちょっとレベル低い。
今度は千疋屋にしよう。

夜ご飯は久しぶりに天ぷら。
どうしても、食べたくなっちゃって、前日から決めていた。
台所で、ビールや日本酒を片手に
旦那と共同作業で揚げていく。

大葉、ふきのとう、ごぼうとにんじんのかき揚げ、ししとう、イカ、エビ。

揚げながら、立ったまま揚げたてをどんどん食べていく。
おいしい〜!ビールがうまいぜ〜!
結局、最後のイカとエビまで、立ったままで食べてしまった・・・
食卓に座って食べたのは、昨日の残りの肉じゃがと、ご飯と味噌汁のみだった。
その後、私が食べすぎで、ダウンしそうだったので、旦那の勧めにしたがいすぐに胃薬を飲む。
するとすぐ楽になり、その後は快調。

片や旦那は、お風呂から出てきたら、はあはあ言っている。
おふろで気持ち悪くなって、散々だったらしい。
やーい、人には言ったくせに〜!
やっぱり先手必勝よ!
(ってそれはちょっと違う?)

体重

2003年3月14日
実は、先週両親の家で、「食っちゃ寝」してた私は、
1.5キロほど体重が増えてしまっていた。

結婚後は、体重の変動が少なくなり
特に最近は、全然カロリーを意識していなくても
月に3〜4回体重を量ると、いつもほぼ同じ数値を示す。
1キロ弱太った??と思う時でも
それは必ず生理前でむくんでいるからで、すぐに戻る。
おなかが空いた分だけ食べる、という風にしていると
体重って動かないものなのだな、と実感。

いや、この体重に満足しているわけでは全然なく
あと2・3キロ少なかったらいいなあと思うが
まあ、今でも身体が重いと感じることもなく
体力がなく疲れることもないので(運動不足による影響以上には)
今のままでもいいかな、なんて思っていた。

なのに、1.5キロ増・・・
やっぱり、すこし重いなあと感じる。
腹がなんか出ている気がするのもいやだ。
よっしゃ、ここは久々にダイエットでもするかあ、
・・・なんて思っていたのだが
半日でやめてしまった。
やっぱりおなかが空いたら我慢できないから
今までどおりでいいや、なんてすぐ諦めてしまったのである。

しかし!
今夜計ってみたら、しっかりいつもの体重に戻っているではないか。
なぜー?

うーむ、やっぱりだらけた生活を送っていると
身体も膨らむ(?)のかも?
それで気持ちに気合が入っていると、引きしまるのかも。
体重は、心のバロメータでもあるらしい。

ついに・・・爆発。

2003年3月13日
今日でとりあえず、今月のプロジェクトアシスタント業務は終了。

今晩、PCに向かってD論を進める。
手が痛くなるほど連続してキーを打つという感覚を
久しぶりに味わった。

D論執筆は
悩んだり迷ったりしては
いったん手を止め、考えるという繰り返しで
少しずつ進めていくもので
手が痛くなるほど連続して文章を書き続けるなんてこと
ないと思っていた。

でも今日はとりあえずGeneral Discussionの下書きを一気に書き上げることができた。
これまでは、単に集中力が欠けていただけなのかもしれない。
やはりプロジェクトの参加は
D論とは全く異なる分野なので
関わっている間は、頭の切り替えがなっていなかったのだろう。

自分の能力不足なのはよく分かっているが
失われた時間を返せ!という
指導教官への憤りも感じてしまう。
お金もそんなにもらえそうもないし。

そしてまた来月からプロジェクト再開だが
また先生がなんだか当初の3倍くらいの量の作業量を言い出してきた。
しかも博論の執筆が・・・とちょっとほのめかしたら
なんと、逆切れされた。
さすがに私に直接には言わず、M2の子に向かってだが
自分の経験になるのに、なんでこんな機会を大事にしないのかと。

あのねえ、私はこのテーマでやっていく気はないから
経験を積む必要性を感じていないのよ。
勝手に押し付けないでくれ。

しかも、プロジェクトのアシスタントという名前でやらされている仕事なのに
先生が方々から頼まれている仕事もしっかり含まれている。
用は、自分の仕事を私たちにやらせているということ。
なのにその大きな態度はなに?
M2の子は、さすがにまだ先生が恐ろしいらしく
言いなりになるつもりらしいが
私はもうそんなつもりはない。
学生でいるのはあと半年なんだし。

博論審査の主査をやってもらうから、
それが終わるまでは言うことを聞くが
それ以降はもう関わりたくない。


ふう、何とか自分の中で納得させようと努力し
押さえ込んできたものが
ついに爆発してしまった。
かなりすっきりした〜

まあとにかく挽回しなければ。
あとは、もう少しこの章を練っていくのと同時に
D論全体の一貫性を保てるように、何度も校正していく必要がある。
まだやるべきことは多いが
なんとか今月いっぱいの完成を目処にがんばろう。

今日の日記

2003年3月9日
仲間の集まりに、結局行ってきた。
久しぶりに会えて、楽しかった。

研究所に勤めている子は、
始発で行って終電で帰ってくるほど忙しいらしいし
SEの子はずいぶん大きな仕事をしているらしいし
D論を今年書いた子は来年度から色んなプロジェクトに関わるらしいし

みんなやっぱりがんばっている。
私なんて、まだまだ甘っちょろいな。
もう言い訳ばかりするのはやめて、
覚悟をきめてがんばろう。

親孝行

2003年3月8日
書いていない間に東京を離れていた。
5日間ばかし。

まあ予定に入っていたことなんだけど。
旦那が私の両親の住んでいる所の近くに出張のため
帰りに両親の家に寄るっていうんで
私も付き合いで行ってきた。
ついでに、妹の旦那も長期出張中ということで
妹と甥も来ていて、大変にぎやか。

両親は、はりきっちゃって、散財しまくり。
温泉旅館に泊まったり
寿司やすき焼きを食べまくったり
挙句の果てには私に服まで買ってくれちゃって
おそらく合計30万くらいは使っていたのではないだろうか?
私はほとんど財布を出さなかった。
結婚したのに、これでいいんだろーか!?

・・・ま、いいか。
両親は私が「もう結婚したから」と遠慮すると露骨にいやな顔をするし
これが生きがいだってきっぱり言い切ってるくらいなんだから。
私たち姉妹が連続して嫁いでしまって
どんなにがんばってお金を稼いでも
子どものために使わない生活っていうのは
かなり味気ないらしい。
これも親孝行の1つと思おう。

・・・ただ、老後の自分達をよろしく、という
圧力を感じる気もするが。
ま、とりあえず今は甘えておこう。

旦那とデート

2003年3月2日
毎週土日は旦那とデートしている。
外食したり、ショッピングしたり。

昨日は東京駅の大丸へ。
服をぶらぶらと見て
キハチでソフトクリーム食べて帰ってきた。

今日は東京駅から歩いて日本橋高島屋へ。
ケーキ食べて、旦那のパンツ(といってもズボンの方)を買って、
妹のプレゼントを買って帰宅。

最近メイクするのが楽しくて仕方がない。
そしてメイクをしたら、デパートへ行きたくて仕方がなくなる。
というわけで、旦那と毎週デートなのだ。

「今」を楽しみたい。
最近の切望だ。
こうやって恋人同士の気分を旦那と味わうのも
今しかできないと思うから。
そのうち子どもでもできたら、
きっと中々できないことだと思うから。

「今」を、もっともっともっと。
今までのような自分ではいたくない。

コンプレックス

2003年2月24日
プロジェクトの方は順調。
D論は、停滞気味。

・・・なんだか、色んなことが面倒になっている。
きっとこれは、「倦怠」だと思う。
この波は、どうしても定期的に襲ってくるもので
そのときにいかにしてやり過ごすかが
今後の道のための1つのポイントとなっていると思う。


ひさしぶりに、仲間と集まることになった。
Mの頃は皆同じ学生で独身だったのに
皆色んな道を歩み、今はそれぞれ精一杯自分のことをやっている。
皆それぞれユニークで
彼女達と久しぶりに会いたいと思う反面
まだ学位もとらず就職も決まっていない自分のことを省みて
なんだか集まりに行くのを躊躇する気持ちもある。

こういう時に気づくんだよなあ。
自分はこういうコンプレックスをいつも持っているんだって。
院生の生活、特にドクターに入ってからの生活は
そのようなコンプレックスとの戦いだったかもしれない。
いつもは考えないようにしているんだけれど。

本気で集まりには行かない、いや行けないかもしれない。
ネガティブで後ろ向きだが、どうしようもないのだ。

小心者なので。

2003年2月18日
書いた内容を
そっくりそのまま秘密メモへ移動しました。
ひみつひみつ。

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