いい加減にしてほしい。
2003年2月17日先週の木曜は
プロジェクトの後、あまりにくらくらしたのでゼミを欠席。
今日朝からプロジェクトのため大学に行くと
プロジェクトのもう1人のアシスタントのM2の子が
木曜ゼミ後に先生に呼び出されたという。
「meさんはD論で忙しいから
なるべくあなたが雑用をやるようにして」
と言われたそうだ。
ふーーん。
一応、先生も、D論執筆真っ最中に
こんなヘビーなプロジェクトに深く関わらせたことに
悪いという気持ちを持ってくださっているんだ。
そして、やっぱり私にとってはD論が大事だと
考えてくださっているんだ。
何だかんだ言って、先生も分かってらっしゃるのね〜
・・・なんて安心したのもつかの間。
今日先生のお部屋でプロジェクト関係でディスカッションしていると
瞬く間に、どんどんやるべきことが増えていった。
・・・はい!?
この間M2さんに言ってくださったことは
なんだったの?
まあさすがに先生との付き合いも長いので
先生のこの毎日コロコロとおっしゃることが変わるという所も
慣れてきた。
そして、よく分かっている。
これからも、無限に要求が増えていくということを。
しかし私ももう学位をとろうとしている身、
いつまでも安いお金で酷使されたくない。
それなりの知識も能力もつけたつもり、
このプロジェクトにも、ただの労働力ではなく
それなりの貢献はできていると思う。
今後、自分を安く売るつもりは毛頭ない。
さっさと学位をとって、こんな状況から脱出しよう。
プロジェクトの後、あまりにくらくらしたのでゼミを欠席。
今日朝からプロジェクトのため大学に行くと
プロジェクトのもう1人のアシスタントのM2の子が
木曜ゼミ後に先生に呼び出されたという。
「meさんはD論で忙しいから
なるべくあなたが雑用をやるようにして」
と言われたそうだ。
ふーーん。
一応、先生も、D論執筆真っ最中に
こんなヘビーなプロジェクトに深く関わらせたことに
悪いという気持ちを持ってくださっているんだ。
そして、やっぱり私にとってはD論が大事だと
考えてくださっているんだ。
何だかんだ言って、先生も分かってらっしゃるのね〜
・・・なんて安心したのもつかの間。
今日先生のお部屋でプロジェクト関係でディスカッションしていると
瞬く間に、どんどんやるべきことが増えていった。
・・・はい!?
この間M2さんに言ってくださったことは
なんだったの?
まあさすがに先生との付き合いも長いので
先生のこの毎日コロコロとおっしゃることが変わるという所も
慣れてきた。
そして、よく分かっている。
これからも、無限に要求が増えていくということを。
しかし私ももう学位をとろうとしている身、
いつまでも安いお金で酷使されたくない。
それなりの知識も能力もつけたつもり、
このプロジェクトにも、ただの労働力ではなく
それなりの貢献はできていると思う。
今後、自分を安く売るつもりは毛頭ない。
さっさと学位をとって、こんな状況から脱出しよう。
松嶋菜々子とおそろ
2003年2月14日昨日チョコを丸ビルに買いに行ったら
「Debailleul」というお店だけが
丸の内OLさんたちに群がられていて
よく知らないけど食べてみたいと思って
並んでゲット。
すると次の日、録画しておいた「美女か野獣」を見ていたら
松嶋菜々子が福山さんにあげたチョコが
おそらくこのお店のだった。
薄茶の包装紙に濃茶のリボンのあのかけ方は
まさしくこのお店のものに違いない。
(たぶん)
旦那に渡す時は、もちろんそのことを報告して
どれだけ有名で高級なチョコなのかを強調。
このお店のことを全然知らずに買ったんだけど
いかにもわざわざそこに買いにいった風に。
いや、ちょっと小さめのサイズだったんで
なんとかそれでフォローしようという魂胆。
予定通り約半分は私の口に入ったが、
確かにおいしい。
量り売りなんかもやっているし
また買ってみようかな〜
「Debailleul」というお店だけが
丸の内OLさんたちに群がられていて
よく知らないけど食べてみたいと思って
並んでゲット。
すると次の日、録画しておいた「美女か野獣」を見ていたら
松嶋菜々子が福山さんにあげたチョコが
おそらくこのお店のだった。
薄茶の包装紙に濃茶のリボンのあのかけ方は
まさしくこのお店のものに違いない。
(たぶん)
旦那に渡す時は、もちろんそのことを報告して
どれだけ有名で高級なチョコなのかを強調。
このお店のことを全然知らずに買ったんだけど
いかにもわざわざそこに買いにいった風に。
いや、ちょっと小さめのサイズだったんで
なんとかそれでフォローしようという魂胆。
予定通り約半分は私の口に入ったが、
確かにおいしい。
量り売りなんかもやっているし
また買ってみようかな〜
しっかりとしなければ。
2003年2月13日プロジェクトの方は順調で
先生の望むような結果を提出できそう。
しかしそうなると先生は
ますます私をプロジェクトの方へと引き込もうとなさる。
そしてポロっとおっしゃった言葉。
「博士論文は半年延ばしたら・・・?」
・・・・・。
きっと先生は、この半年でこのプロジェクトはかなり忙しくなるので
D論執筆&審査を平行して進めるのはきついのでは?
・・・と思われたのだろう。
でも、そこでD論をとるより、プロジェクトをとれ、
なんておっしゃるなんて。
昔の先生からは考えられないお言葉。
昔は、とにかくドクターにとってはD論が一番大事、
それにD論執筆にも勢いが必要なんだから
だらだらと延ばさず、書ける時に書いてしまいなさい、
としつこいほどおっしゃっていたのに。
今はCOEで頭がいっぱいなのだろう、
博論のはの字も出てこない。
でも私自身はどうしたいか。
私は、早くD論にけりをつけてしまいたい。
すでに半年提出を延ばしたのだから
これ以上延ばしてしまったら、集中力が途切れてしまう可能性がある。
それに、お金ももらえるかわからないような
プロジェクトのアシスタントをやるために
私のD論を犠牲にするつもりは、全くない。
とにかくこうなれば、自分が進みたい道は、
しっかりと見据えていかなければ。
はずれないように、遅れないように気をつけなければ。
先生にとってはただの一学生の人生。
でも私にとっては自分のかけがえのない大切な人生。
誰にも邪魔はさせない。
先生の望むような結果を提出できそう。
しかしそうなると先生は
ますます私をプロジェクトの方へと引き込もうとなさる。
そしてポロっとおっしゃった言葉。
「博士論文は半年延ばしたら・・・?」
・・・・・。
きっと先生は、この半年でこのプロジェクトはかなり忙しくなるので
D論執筆&審査を平行して進めるのはきついのでは?
・・・と思われたのだろう。
でも、そこでD論をとるより、プロジェクトをとれ、
なんておっしゃるなんて。
昔の先生からは考えられないお言葉。
昔は、とにかくドクターにとってはD論が一番大事、
それにD論執筆にも勢いが必要なんだから
だらだらと延ばさず、書ける時に書いてしまいなさい、
としつこいほどおっしゃっていたのに。
今はCOEで頭がいっぱいなのだろう、
博論のはの字も出てこない。
でも私自身はどうしたいか。
私は、早くD論にけりをつけてしまいたい。
すでに半年提出を延ばしたのだから
これ以上延ばしてしまったら、集中力が途切れてしまう可能性がある。
それに、お金ももらえるかわからないような
プロジェクトのアシスタントをやるために
私のD論を犠牲にするつもりは、全くない。
とにかくこうなれば、自分が進みたい道は、
しっかりと見据えていかなければ。
はずれないように、遅れないように気をつけなければ。
先生にとってはただの一学生の人生。
でも私にとっては自分のかけがえのない大切な人生。
誰にも邪魔はさせない。
計画たてなおし
2003年2月11日来週から
週3日も例のプロジェクトのために
朝から大学にいかねばならなくなった。
しかも、午前中いっぱいつぶれる。
しかも、D論との関連性は一切なし。
しかも、無償。
うーーーむ。
D論との両立ができるかできないかと言われれば
できると答えられるけれど
ほんとうは、はやくD論をやっつけて
学術誌への投稿論文を書きたかったのに。
計画がくるうなあ・・・
・D論:8
・プロジェクト:1
・投稿論文:1
くらいで、平行して進めるか。
ほんとうに、能力があるのならば、
これくらい、できなきゃあかんのだろう。
週3日も例のプロジェクトのために
朝から大学にいかねばならなくなった。
しかも、午前中いっぱいつぶれる。
しかも、D論との関連性は一切なし。
しかも、無償。
うーーーむ。
D論との両立ができるかできないかと言われれば
できると答えられるけれど
ほんとうは、はやくD論をやっつけて
学術誌への投稿論文を書きたかったのに。
計画がくるうなあ・・・
・D論:8
・プロジェクト:1
・投稿論文:1
くらいで、平行して進めるか。
ほんとうに、能力があるのならば、
これくらい、できなきゃあかんのだろう。
現在の
2003年2月8日進行状況。
◆general discussion
・・・を執筆しようと思って
実験章を見直していたら
どうにも手をいれたくなってしまったので
◆実験章(5章分)
の見直しを平行してやっている。
というか、こっちばっかりやっている。
一応general discussionの下書きを書いてしまってから
最初から見直しをしてしまおうと思っていたんだけれど
まあいいか、こっちのほうが進むなら。
◆序論
上の作業をしていると、どうしても序論の章を見直す必要が出てきていて
こっちの修正作業も平行してやっている。
すでにどの章も
「下書き11」くらいになっている。
何回も、何回も、何回も、何回も、何回も
手をいれていくうちに
すでに最初の原型をとどめなくなったりしている。
こうやってバージョンアップを繰り返していって
最後に納得のいくものが仕上がればいいな。
実は、こうやって作り上げていくのって
好きかもしれない。
◆general discussion
・・・を執筆しようと思って
実験章を見直していたら
どうにも手をいれたくなってしまったので
◆実験章(5章分)
の見直しを平行してやっている。
というか、こっちばっかりやっている。
一応general discussionの下書きを書いてしまってから
最初から見直しをしてしまおうと思っていたんだけれど
まあいいか、こっちのほうが進むなら。
◆序論
上の作業をしていると、どうしても序論の章を見直す必要が出てきていて
こっちの修正作業も平行してやっている。
すでにどの章も
「下書き11」くらいになっている。
何回も、何回も、何回も、何回も、何回も
手をいれていくうちに
すでに最初の原型をとどめなくなったりしている。
こうやってバージョンアップを繰り返していって
最後に納得のいくものが仕上がればいいな。
実は、こうやって作り上げていくのって
好きかもしれない。
チャンスだ
2003年2月5日COEプロジェクトの件だが
早速来週から関わることになった。
早起きして大学に行かなければならなくなった。
・・・せんせい、
私一応、今D論執筆中なんですけど・・・。
もちろん先生はご存知だ。
その上でおっしゃっていることは分かっている。
でも昨年、先輩方が博論を書いている時は
週一のゼミにも出なくていい、とにかく身体を大事にして
博論に専念してね、
・・・ってな感じだったのに。
しかも、一応、私は、先輩方より早い時期に
博論を提出するので
時間的な余裕はないんですけど・・・。
いや、でもきっと、先生は
D論を執筆してても、関係ない他のプロジェクトに関われるくらい
私に余裕があると思ってくださっているのだろう。
問題なく博論執筆が進んでいると、安心して下さっているということだ。
・・・実は、そこまで余裕があるわけではないんですけど。
本当に終わるのか、毎日怖くて仕方がないんですけど。
でも、これは、先生の私に対する評価を高くするチャンスだ。
ここは、プロジェクトでもきっちり役割を果たしつつ
D論執筆も着実に進めて
さらりと、「書き終わりました」って
早い時期に完成度の高いものを先生に提出するのがベスト。
一切、余裕の無いところは見せずに。
こういうチャンスは、逃さずものにしていきたい。
早速来週から関わることになった。
早起きして大学に行かなければならなくなった。
・・・せんせい、
私一応、今D論執筆中なんですけど・・・。
もちろん先生はご存知だ。
その上でおっしゃっていることは分かっている。
でも昨年、先輩方が博論を書いている時は
週一のゼミにも出なくていい、とにかく身体を大事にして
博論に専念してね、
・・・ってな感じだったのに。
しかも、一応、私は、先輩方より早い時期に
博論を提出するので
時間的な余裕はないんですけど・・・。
いや、でもきっと、先生は
D論を執筆してても、関係ない他のプロジェクトに関われるくらい
私に余裕があると思ってくださっているのだろう。
問題なく博論執筆が進んでいると、安心して下さっているということだ。
・・・実は、そこまで余裕があるわけではないんですけど。
本当に終わるのか、毎日怖くて仕方がないんですけど。
でも、これは、先生の私に対する評価を高くするチャンスだ。
ここは、プロジェクトでもきっちり役割を果たしつつ
D論執筆も着実に進めて
さらりと、「書き終わりました」って
早い時期に完成度の高いものを先生に提出するのがベスト。
一切、余裕の無いところは見せずに。
こういうチャンスは、逃さずものにしていきたい。
やっぱりお金は必要だ!
2003年2月4日4月からRA(リサーチ・アシスタント)をやることになりそうだ。
指導教官から
D論書いた後、COE関係のプロジェクトの1つに携わってくれないか、
と打診がきた。
そのメールを見て、思わずPCの前でガッツポーズ!
RAと言えども、かなりの金額がコンスタントにもらえる。
それに、せっかくだから、大学を出る前に
COEの何かのプロジェクトに関わってみたかった。
まだ決まったわけではないが
来年度の収入に関する不安が少し軽減してよかった。
ところで、こんな風にお金お金、と騒いでいるのは
私の周りでは私だけのような気がする。
研究をしている人はたいてい、お金に割と無頓着な気がする。
学振だって、私はどうしても、絶対もらいたい!
・・・という意気込みで、申請するのも当たり前って感じだったのだが
今年は、20名弱いる研究室の院生で、申請したのは私一人。
皆、はなから諦めているらしい。
だめもとでも、エントリーしなければ、可能性だって生まれないじゃん、
と私は思ったんだけど。
私にとって、お金は大切だ。
この歳になって、定収入がないってことは本当につらい事だし
何より研究を思い切りするためには、経済的な支えが必要だと思う。
私にとって研究は、好きなことであると同時に
お金を稼ぐ手段でもある。
将来、必ずこれで就職する、というのが前提。
じゃないと、ただの趣味じゃないか。
・・・なんて考えているのは、私だけなのかな?
研究をやる人は、大部分は研究すること自体に
純粋な喜びを感じていて
お金お金と俗っぽい(?)ことは考えないのだろうか?
あるいは、本当は口に出さないだけで、心の中ではやはり
経済的安定を欲しているのだろうか?
(そういう私だって、そういえば外で口に出すことはほとんどないし・・・)
うーむ。
まあ人はともかく、
今の私は、自分の頭ひとつで、自分の食い扶持を稼いでやる、
そういう大きなモチベーションに突き動かされているので
どんどんお金にはこだわっていきたいと思う。
とは言え、旦那の稼ぎで食べていけるという前提があるから
かなり甘っちょろいモチベーションなのかもしれないけどね。
指導教官から
D論書いた後、COE関係のプロジェクトの1つに携わってくれないか、
と打診がきた。
そのメールを見て、思わずPCの前でガッツポーズ!
RAと言えども、かなりの金額がコンスタントにもらえる。
それに、せっかくだから、大学を出る前に
COEの何かのプロジェクトに関わってみたかった。
まだ決まったわけではないが
来年度の収入に関する不安が少し軽減してよかった。
ところで、こんな風にお金お金、と騒いでいるのは
私の周りでは私だけのような気がする。
研究をしている人はたいてい、お金に割と無頓着な気がする。
学振だって、私はどうしても、絶対もらいたい!
・・・という意気込みで、申請するのも当たり前って感じだったのだが
今年は、20名弱いる研究室の院生で、申請したのは私一人。
皆、はなから諦めているらしい。
だめもとでも、エントリーしなければ、可能性だって生まれないじゃん、
と私は思ったんだけど。
私にとって、お金は大切だ。
この歳になって、定収入がないってことは本当につらい事だし
何より研究を思い切りするためには、経済的な支えが必要だと思う。
私にとって研究は、好きなことであると同時に
お金を稼ぐ手段でもある。
将来、必ずこれで就職する、というのが前提。
じゃないと、ただの趣味じゃないか。
・・・なんて考えているのは、私だけなのかな?
研究をやる人は、大部分は研究すること自体に
純粋な喜びを感じていて
お金お金と俗っぽい(?)ことは考えないのだろうか?
あるいは、本当は口に出さないだけで、心の中ではやはり
経済的安定を欲しているのだろうか?
(そういう私だって、そういえば外で口に出すことはほとんどないし・・・)
うーむ。
まあ人はともかく、
今の私は、自分の頭ひとつで、自分の食い扶持を稼いでやる、
そういう大きなモチベーションに突き動かされているので
どんどんお金にはこだわっていきたいと思う。
とは言え、旦那の稼ぎで食べていけるという前提があるから
かなり甘っちょろいモチベーションなのかもしれないけどね。
ボーゼン
2003年2月2日本格的に焦りだす。
◆general discussionの下書き
これを書いているのだが、
この作業は論文の総括なので
いやでもこれまで書いてきた部分を見直す必要が出てくる。
すると、いくら「下書き」とは言っても
あまりに目も当てられないその不完全さに
もう呆然としてしまう。
これから、どれだけ手を入れなければならないのか・・・
その道のりの遠さに、ボーゼン。
ほ・・・本気で終わらんぞ、こりゃ。
2月は4週間しかないんだぞ。
先輩なんてきらい、とか言ってる場合じゃないぞ!
◆general discussionの下書き
これを書いているのだが、
この作業は論文の総括なので
いやでもこれまで書いてきた部分を見直す必要が出てくる。
すると、いくら「下書き」とは言っても
あまりに目も当てられないその不完全さに
もう呆然としてしまう。
これから、どれだけ手を入れなければならないのか・・・
その道のりの遠さに、ボーゼン。
ほ・・・本気で終わらんぞ、こりゃ。
2月は4週間しかないんだぞ。
先輩なんてきらい、とか言ってる場合じゃないぞ!
久しぶりに「嫌い」な人ができてしまった。
2003年2月1日先輩とAさんからは
「猛省」しているというメールが届いた。
たくさんの誤解があったらしい。
私はどうやらずいぶん見くびられていたらしいので
はっきり自分の意見を書いてよかった。
私はもともと、ものすごくキツイ性格をしていると思う。
小学校高学年のころからそうだった。
怒るとコワイとよく言われ(自分でもコワかった・・・)
次第に自分のそういう面を出さないよう
かなり努力する習慣がついた。
しかしその習慣は大人になるほど、顕著になり
いつしか、言わなければならないことと
言ってはいけないことの境界が
見えなくなってしまっていたようだ。
今回はそれを確認できた。その意味ではよかったかな。
しかし・・・先輩の猛省しているはずのメール。
どこか高飛車(苦笑)。
思わず、嫌悪感がこみ上げる。
先輩は、私に対する信頼度が上がったとか書いていたけれど
アナタに認められようとか信頼されようとか
一切思わない、
・・・と思っている自分に気づく。
人は、一定以上の好意を持っている人物にしか、
認められたいと思わないものだ。
どうやら私は、その先輩のことを
もはや、どーでもいいとしか思っていないようだ。
嫌いという感情は、どうしようもない。
一度嫌いと思えば、今までその先輩について持ってきた「?」という感情も
すべてそれに結びついてしまって
もう止められない。
こういうときは仕方が無い。
なにより、今はD論の追い込みなのだから
ネガティブ感情を生起させる対象には
近づかないのが一番。
「猛省」しているというメールが届いた。
たくさんの誤解があったらしい。
私はどうやらずいぶん見くびられていたらしいので
はっきり自分の意見を書いてよかった。
私はもともと、ものすごくキツイ性格をしていると思う。
小学校高学年のころからそうだった。
怒るとコワイとよく言われ(自分でもコワかった・・・)
次第に自分のそういう面を出さないよう
かなり努力する習慣がついた。
しかしその習慣は大人になるほど、顕著になり
いつしか、言わなければならないことと
言ってはいけないことの境界が
見えなくなってしまっていたようだ。
今回はそれを確認できた。その意味ではよかったかな。
しかし・・・先輩の猛省しているはずのメール。
どこか高飛車(苦笑)。
思わず、嫌悪感がこみ上げる。
先輩は、私に対する信頼度が上がったとか書いていたけれど
アナタに認められようとか信頼されようとか
一切思わない、
・・・と思っている自分に気づく。
人は、一定以上の好意を持っている人物にしか、
認められたいと思わないものだ。
どうやら私は、その先輩のことを
もはや、どーでもいいとしか思っていないようだ。
嫌いという感情は、どうしようもない。
一度嫌いと思えば、今までその先輩について持ってきた「?」という感情も
すべてそれに結びついてしまって
もう止められない。
こういうときは仕方が無い。
なにより、今はD論の追い込みなのだから
ネガティブ感情を生起させる対象には
近づかないのが一番。
対決じゃー
2003年1月31日昨夜は眠れなかった。
怒りが、どうしても、どうしても静まらなくて。
私のこれまでの経験から言って
1晩寝れば沈静することは分かっていたので
早く寝てしまいたかったのだが
最近ではそうなかった、あまりに大きな怒りに
脳は沈静してくれなかった。
夜中にずっと考える。
今回のことは、どうするべきだったか。
とりあえずは感情的にならないように
それを心がけて、なるべく穏便にすませるようなメールを送ったのだが。
でも言うべきことは言わなければならなかたのかもしれない。
会社の上司じゃあるまいし
たかが先輩になんでこんな理不尽な扱いを受けなきゃならない?
昨夜はオブラートに包んだ言葉で少しだけ書いたけど
そこから相手に言いたいことを汲み取ってくれと期待するのは
甘かったのかも知れない。
明日は、大学に言って、直接先輩に話そう。
そう思ったら
どんなことを言おうかと考え始めて
さらに眠れなくなってしまった。
なのに気づくと昼(笑)
朝方眠ってしまったようで
今から大学に言っても、先輩は帰っているだろう。
起きてメーラーを立ち上げると
メールが来ていた。先輩から。
やっぱり彼女は、なんにもわかっちゃいなかった。
何にも汲み取ってくれはしなかった。
私が、甘かった。
これは言うしかない。そう決めた。
一晩寝て冷えた頭だから、暴走はしない。
そう思い、いいたい事を、書いた。
何度も読み返し、そしてメールで送った。
相手を責めることを言ったり書いたりする時
書いている時は、これは送るしかないと思いながら書いていても
書いて相手に送った直後から後悔するもの。
今回も、書いている時から、後から後悔するだろうなと分かっていた。
でも、書かなかったらもっと後悔するだろうな、ということも分かっていた。
だから、送った。
そして今。
確かに、ある程度の後悔はある。
人を責める権利があったのかと。
書いている時は、理不尽な責めに対し
抗議するのは当たり前だと思っていたけれど
それでも、穏便に流すことが、大人のやり方だったんじゃないかと。
でも、必要な対決だったのかもしれない、とも思う。
この先輩は、研究室の長老として
最近あまりにやることの横暴さが目に付いていたので
唯一とも言える意見できる存在である私が、
いつか何か言わなければいけないと思っていた。
なにより、これまで彼女の横暴をさりげなく流してきた私に
ある程度は責任があったのではないか。
そうも思っていたので、
今回の度を過ぎた振る舞いは
許すべきではなかったのかもしれない。
それでも、これでよかったのか、今でも分からない。
多分この先も分からないだろう。
でも、人と深く関わるほどトラブルも増える。
PCを相手に孤独な生活を長く送っていた私は
そんなことも忘れていた。
危ない危ない。
私にとって、この件は必要なスパイスとなっているはず。
それを生かすかどうかは、今後の自分次第かな。
怒りが、どうしても、どうしても静まらなくて。
私のこれまでの経験から言って
1晩寝れば沈静することは分かっていたので
早く寝てしまいたかったのだが
最近ではそうなかった、あまりに大きな怒りに
脳は沈静してくれなかった。
夜中にずっと考える。
今回のことは、どうするべきだったか。
とりあえずは感情的にならないように
それを心がけて、なるべく穏便にすませるようなメールを送ったのだが。
でも言うべきことは言わなければならなかたのかもしれない。
会社の上司じゃあるまいし
たかが先輩になんでこんな理不尽な扱いを受けなきゃならない?
昨夜はオブラートに包んだ言葉で少しだけ書いたけど
そこから相手に言いたいことを汲み取ってくれと期待するのは
甘かったのかも知れない。
明日は、大学に言って、直接先輩に話そう。
そう思ったら
どんなことを言おうかと考え始めて
さらに眠れなくなってしまった。
なのに気づくと昼(笑)
朝方眠ってしまったようで
今から大学に言っても、先輩は帰っているだろう。
起きてメーラーを立ち上げると
メールが来ていた。先輩から。
やっぱり彼女は、なんにもわかっちゃいなかった。
何にも汲み取ってくれはしなかった。
私が、甘かった。
これは言うしかない。そう決めた。
一晩寝て冷えた頭だから、暴走はしない。
そう思い、いいたい事を、書いた。
何度も読み返し、そしてメールで送った。
相手を責めることを言ったり書いたりする時
書いている時は、これは送るしかないと思いながら書いていても
書いて相手に送った直後から後悔するもの。
今回も、書いている時から、後から後悔するだろうなと分かっていた。
でも、書かなかったらもっと後悔するだろうな、ということも分かっていた。
だから、送った。
そして今。
確かに、ある程度の後悔はある。
人を責める権利があったのかと。
書いている時は、理不尽な責めに対し
抗議するのは当たり前だと思っていたけれど
それでも、穏便に流すことが、大人のやり方だったんじゃないかと。
でも、必要な対決だったのかもしれない、とも思う。
この先輩は、研究室の長老として
最近あまりにやることの横暴さが目に付いていたので
唯一とも言える意見できる存在である私が、
いつか何か言わなければいけないと思っていた。
なにより、これまで彼女の横暴をさりげなく流してきた私に
ある程度は責任があったのではないか。
そうも思っていたので、
今回の度を過ぎた振る舞いは
許すべきではなかったのかもしれない。
それでも、これでよかったのか、今でも分からない。
多分この先も分からないだろう。
でも、人と深く関わるほどトラブルも増える。
PCを相手に孤独な生活を長く送っていた私は
そんなことも忘れていた。
危ない危ない。
私にとって、この件は必要なスパイスとなっているはず。
それを生かすかどうかは、今後の自分次第かな。
支離滅裂でごめんなさい
2003年1月30日気持ちが、くさくさ。
私の人事
同じ大学の人(Aさん)も同じ学科のポストに応募していて
ある事情で、私とAさん、お互いが
応募していることを知るという状況になった。
でも、いくら近い人でも、私のことを他の人にばらさないでね、
Aさんにそういわれた。
他人のまだ決まっていない人事のことを
伏せておくのは当たり前。常識。
そんなこと、念を押されたこと自体
はっきり言ってむかついたが
まあよっぽど心配だったのだなと、自分がそう見られがちなのだな、
と自分を省みたりしていた。
なのにAさん
自分の親友に、自分の人事を話す時に
私のことまで話したらしい。
その親友が、私が先日話した、研究室の先輩。
だから、その先輩は、私が話す前に知っていたわけだ。
それが判明した時、結構傷ついたが
でも、Aさんも親友には隠せなかったんだね、と
まあそう受け止めた。
それくらい、許そうと。
でも今日
Aさんはもう相手の大学からメールをもらっていると
先輩が話してくれたので
その先輩から聞いたことは話さず
Aさんに事情を聞きに言った。
すると、Aさんは、そのメールを転送してくれると話してくれた。
その後、先輩からメールが届いた。
「応募している同士がお互いの状況を知っているのは異常なんだから
メールの転送なんてとんでもない!」
「Aさんの信用にも関わるから、そんなこと相手方に言ってはいけない」
・・・おいおい。
私は、どの部分が悪いのか、言ってくれ。
どこに落ち度があったのか、言ってくれ。
相手方にAさんはメールをもらっているということなど
もちろん言うつもりはないし
そもそも、Aさんのことは、誰にも言わないつもりだったんだぞ。
先輩が私の人事を知っていたという事実から、
結果的に、これを知っているAさんしか先輩に言った人はいないと
判断できただけなのに。
理不尽。
これこそ。
でも、仕方ない。
すぐに、お詫びのメール。
ただし、自分はAさんのことを他人に口外するなんてことは
決してしていない、ということだけは強調。
ま、世の中こんなもんよ。
でも、この先輩、私の中で、一気に好感度が低下。
最近段々「一体この人って??」って思うことが多かったが
これで判明。
あーあ、結構尊敬していたのにな。
はっきり言って、今は「大」がつくほど嫌いかも。
・・・しかし私もまだまだ。
他人の欠点を笑って許せる人になるまでの
道は遠い。
まあとにかく、こんな大学さっさと出たい。
この件も、博士論文提出のモチベーションにしていけばいい。
どんなことも、人生の糧に。
私の人事
同じ大学の人(Aさん)も同じ学科のポストに応募していて
ある事情で、私とAさん、お互いが
応募していることを知るという状況になった。
でも、いくら近い人でも、私のことを他の人にばらさないでね、
Aさんにそういわれた。
他人のまだ決まっていない人事のことを
伏せておくのは当たり前。常識。
そんなこと、念を押されたこと自体
はっきり言ってむかついたが
まあよっぽど心配だったのだなと、自分がそう見られがちなのだな、
と自分を省みたりしていた。
なのにAさん
自分の親友に、自分の人事を話す時に
私のことまで話したらしい。
その親友が、私が先日話した、研究室の先輩。
だから、その先輩は、私が話す前に知っていたわけだ。
それが判明した時、結構傷ついたが
でも、Aさんも親友には隠せなかったんだね、と
まあそう受け止めた。
それくらい、許そうと。
でも今日
Aさんはもう相手の大学からメールをもらっていると
先輩が話してくれたので
その先輩から聞いたことは話さず
Aさんに事情を聞きに言った。
すると、Aさんは、そのメールを転送してくれると話してくれた。
その後、先輩からメールが届いた。
「応募している同士がお互いの状況を知っているのは異常なんだから
メールの転送なんてとんでもない!」
「Aさんの信用にも関わるから、そんなこと相手方に言ってはいけない」
・・・おいおい。
私は、どの部分が悪いのか、言ってくれ。
どこに落ち度があったのか、言ってくれ。
相手方にAさんはメールをもらっているということなど
もちろん言うつもりはないし
そもそも、Aさんのことは、誰にも言わないつもりだったんだぞ。
先輩が私の人事を知っていたという事実から、
結果的に、これを知っているAさんしか先輩に言った人はいないと
判断できただけなのに。
理不尽。
これこそ。
でも、仕方ない。
すぐに、お詫びのメール。
ただし、自分はAさんのことを他人に口外するなんてことは
決してしていない、ということだけは強調。
ま、世の中こんなもんよ。
でも、この先輩、私の中で、一気に好感度が低下。
最近段々「一体この人って??」って思うことが多かったが
これで判明。
あーあ、結構尊敬していたのにな。
はっきり言って、今は「大」がつくほど嫌いかも。
・・・しかし私もまだまだ。
他人の欠点を笑って許せる人になるまでの
道は遠い。
まあとにかく、こんな大学さっさと出たい。
この件も、博士論文提出のモチベーションにしていけばいい。
どんなことも、人生の糧に。
進行状況
2003年1月29日博士論文進行状況。
◆序論〜実験の章は、下書きは一応書いた。
ただしあくまでも「下書き」。
たたき台とでもいうところでしょうか。
まだ「論文」の文章ではない。
◆あと下書きで残すは、General discussion。
現在、骨組み→肉付け少し、という段階。
雑誌論文ではないので
研究の総括をするこの章では
実験結果から明らかになったことはもちろん
そこからのスペキレーションも割りと自由に書くことができる。
なので楽しいはずなんだけど。
まだまだ先は長い。
◆Figure & Table
これは楽しく単純な作業なので、「集中力がない時」にやるようにしていた。
そしたらほぼ全てが終わってしまった。
私の集中力って・・・
いい加減、本気ださにゃあ。
◆序論〜実験の章は、下書きは一応書いた。
ただしあくまでも「下書き」。
たたき台とでもいうところでしょうか。
まだ「論文」の文章ではない。
◆あと下書きで残すは、General discussion。
現在、骨組み→肉付け少し、という段階。
雑誌論文ではないので
研究の総括をするこの章では
実験結果から明らかになったことはもちろん
そこからのスペキレーションも割りと自由に書くことができる。
なので楽しいはずなんだけど。
まだまだ先は長い。
◆Figure & Table
これは楽しく単純な作業なので、「集中力がない時」にやるようにしていた。
そしたらほぼ全てが終わってしまった。
私の集中力って・・・
いい加減、本気ださにゃあ。
稼ぎたい。
2003年1月24日4月から、私のお給料がなくなる。
学振DCが3月で修了するからだ。
4月から、どんな生活になるか。
旦那の給料だけで生活できるだろうが
私はあと半年は授業料がかかるし
今の家は家賃が高いが、気に入っているので住み続けたい。
さらに服だって化粧品だって普通に買いたい。
・・・なんて、わがままな私。
でも私は基本的に、旦那に金銭面で世話になるのがいやだ。
結婚も、学振に採用されることが決まったから決めたようなもんだし
一生働き続けて、稼ぎ続けて、金銭面で自立をしていたい、というのは
もう私の信念。
その裏には、「旦那と対等でいたい」という気持ちがある。
まあ、今も、私の3倍近くの年収を稼ぎ出す旦那に対して
対等でいようとすること自体、
何か間違っているのかもしれないけど。
家事だって、かなり旦那がやってくれるし・・・
とにかく、いくら家に金を入れるか。
はっきり言って、生活していく上で、
これが一番大きなことだ。
なので、このままでは、おそらく私の性格から言って
自分には全くお金を使わなくなるだろう。
もし家計に余裕があったとしても、その分貯金に回すだろう。
なんと言っても、私はお金を稼がないのだから。
しかし。
節約のことばかり考えている生活というのは
心を枯れさせていく。
特に私のように、お金を使うことが大好きな人間にとっては。
なるべくなら、そんな生活は避けたい。
なので、今までの収入と同じくらい
稼いでみせるぞ!と意気込んでいる。
・・・のだが。
私は、どうやら、非常勤に縁がないらしい。
決まりかけていた話が2件とも、相手の大学の都合で
だめになってしまった。
今のところ、決まっているのはTAの1件のみ。
ああ、自分の研究だけして、お金をもらえていたという今までの環境は
なんと恵まれていたことか!
お金を稼ぐと言うことは、やっぱり大変なことだ。
その分、研究の時間は削られているわけで
それでもちゃんと研究を進めているドクターの皆に、脱帽。
しかし、私は諦めない。
3月までにD論を完全に仕上げて
4月からは非常勤その他でしっかり働く。
私がそう決めたなら、そうするのだ。
学振DCが3月で修了するからだ。
4月から、どんな生活になるか。
旦那の給料だけで生活できるだろうが
私はあと半年は授業料がかかるし
今の家は家賃が高いが、気に入っているので住み続けたい。
さらに服だって化粧品だって普通に買いたい。
・・・なんて、わがままな私。
でも私は基本的に、旦那に金銭面で世話になるのがいやだ。
結婚も、学振に採用されることが決まったから決めたようなもんだし
一生働き続けて、稼ぎ続けて、金銭面で自立をしていたい、というのは
もう私の信念。
その裏には、「旦那と対等でいたい」という気持ちがある。
まあ、今も、私の3倍近くの年収を稼ぎ出す旦那に対して
対等でいようとすること自体、
何か間違っているのかもしれないけど。
家事だって、かなり旦那がやってくれるし・・・
とにかく、いくら家に金を入れるか。
はっきり言って、生活していく上で、
これが一番大きなことだ。
なので、このままでは、おそらく私の性格から言って
自分には全くお金を使わなくなるだろう。
もし家計に余裕があったとしても、その分貯金に回すだろう。
なんと言っても、私はお金を稼がないのだから。
しかし。
節約のことばかり考えている生活というのは
心を枯れさせていく。
特に私のように、お金を使うことが大好きな人間にとっては。
なるべくなら、そんな生活は避けたい。
なので、今までの収入と同じくらい
稼いでみせるぞ!と意気込んでいる。
・・・のだが。
私は、どうやら、非常勤に縁がないらしい。
決まりかけていた話が2件とも、相手の大学の都合で
だめになってしまった。
今のところ、決まっているのはTAの1件のみ。
ああ、自分の研究だけして、お金をもらえていたという今までの環境は
なんと恵まれていたことか!
お金を稼ぐと言うことは、やっぱり大変なことだ。
その分、研究の時間は削られているわけで
それでもちゃんと研究を進めているドクターの皆に、脱帽。
しかし、私は諦めない。
3月までにD論を完全に仕上げて
4月からは非常勤その他でしっかり働く。
私がそう決めたなら、そうするのだ。
ダメかもしれないけど。
2003年1月23日今日はゼミ。
その後先生のお部屋にお邪魔し
G4に出張中のデジカメ画像を取り込む作業を頼まれた。
むろん大層簡単な作業で
先輩と一緒に話しながらやっていたら
そばにいた先生が
「なに?なんのこと??業界用語がいっぱいでさっぱり分からない」
「業界用語」って・・・(笑)
圧縮とか、拡張子とか、JPEGとか、Dual CPUとか、
その程度の単語しか出していないんですけど。
本当にパソコンなどさっぱりの先生。
COE予算で買った、こーんなに高価で高性能なG4が泣いてるぜい!
ところでその中で
2つ上の代の先輩の就職が決まったという話を先生から聞いた。
わーすごい、おめでたい!って言った後
その後「それで、私の話はどうなったんですか!?」
って聞きたかった。よっぽど。
でも結局、その話は出せず。
なーんかね、直接先生に尋ねるってことはできないのよ。
求人も、公募も、推薦も、内定も、全てが曖昧な世界。
その世界の中で、はっきりしたことが早く判明するなんてことは、そうない。
したがって、はっきり尋ねることもはばかられる。
いまさらながら、私はこういう道を選んだんだなあと実感。
その後、研究室で、先輩に初めてこの専任講師の推薦の話を打ち明ける。
毎日顔を合わす、仲のいいこの先輩には
ずーっと伝えておきたいと思い続けていたが
先輩を飛び越して私に来た話だったので
なんだか今まで切り出しにくいという面があった。
しかし・・・先輩は、ある事情ですでに知っていた。
その先輩と話した結果
やっぱりあまり確実な話ではなさそうであるという気がしてきた。
先生はもう決まりみたいに思い込んでいらっしゃるけれど
いつもの先生の暴走という可能性は高いだろうと。
もしダメだったらやっぱりショックだろうけど
まあ、この話は来年の4月からのポストだったから
もしだめでも、その間に業績を積んで
他の職が得られればいい。
そのためのモチベーションにしていけばいいだけの話。
なにより、早く、D論を仕上げてしまおう。
現在、下書きの70%くらい完成。
その後先生のお部屋にお邪魔し
G4に出張中のデジカメ画像を取り込む作業を頼まれた。
むろん大層簡単な作業で
先輩と一緒に話しながらやっていたら
そばにいた先生が
「なに?なんのこと??業界用語がいっぱいでさっぱり分からない」
「業界用語」って・・・(笑)
圧縮とか、拡張子とか、JPEGとか、Dual CPUとか、
その程度の単語しか出していないんですけど。
本当にパソコンなどさっぱりの先生。
COE予算で買った、こーんなに高価で高性能なG4が泣いてるぜい!
ところでその中で
2つ上の代の先輩の就職が決まったという話を先生から聞いた。
わーすごい、おめでたい!って言った後
その後「それで、私の話はどうなったんですか!?」
って聞きたかった。よっぽど。
でも結局、その話は出せず。
なーんかね、直接先生に尋ねるってことはできないのよ。
求人も、公募も、推薦も、内定も、全てが曖昧な世界。
その世界の中で、はっきりしたことが早く判明するなんてことは、そうない。
したがって、はっきり尋ねることもはばかられる。
いまさらながら、私はこういう道を選んだんだなあと実感。
その後、研究室で、先輩に初めてこの専任講師の推薦の話を打ち明ける。
毎日顔を合わす、仲のいいこの先輩には
ずーっと伝えておきたいと思い続けていたが
先輩を飛び越して私に来た話だったので
なんだか今まで切り出しにくいという面があった。
しかし・・・先輩は、ある事情ですでに知っていた。
その先輩と話した結果
やっぱりあまり確実な話ではなさそうであるという気がしてきた。
先生はもう決まりみたいに思い込んでいらっしゃるけれど
いつもの先生の暴走という可能性は高いだろうと。
もしダメだったらやっぱりショックだろうけど
まあ、この話は来年の4月からのポストだったから
もしだめでも、その間に業績を積んで
他の職が得られればいい。
そのためのモチベーションにしていけばいいだけの話。
なにより、早く、D論を仕上げてしまおう。
現在、下書きの70%くらい完成。
おねがいです
2003年1月20日先生、
主張中のメールが溜まってらっしゃるのは分かるのですが、
専任講師の話がどうなったか
一言でいいのでメールください。
お願いですから
相手の大学の先生からのメールを
メールの山の中に埋もれさせて
「あら昨日面接日だったみたい、気づかなかったわ」
で済ませないでください。
ほんとうにありそうだから怖い、うちの先生の場合。
一応教え子の人生がかかっているのですから
おねがいです・・・
主張中のメールが溜まってらっしゃるのは分かるのですが、
専任講師の話がどうなったか
一言でいいのでメールください。
お願いですから
相手の大学の先生からのメールを
メールの山の中に埋もれさせて
「あら昨日面接日だったみたい、気づかなかったわ」
で済ませないでください。
ほんとうにありそうだから怖い、うちの先生の場合。
一応教え子の人生がかかっているのですから
おねがいです・・・
気が早い
2003年1月14日専任講師の話は
指導教官が長期出張に出かけているために
完全に止まっている。
毎日毎日
「専門外なんだから、採用される訳がない!」
と思ったり、でも次の日は一転して
「先生の推薦なんだから、通る可能性は高いのかも?」
と思ってみたり。
勝手に翻弄されております。
もしこの話が決まったら
今の家から通うのはキツイ。
なので引越しすることになるのだが
旦那がすでに、新しいマンションを探し始めている。
私もついつい、その作業が面白くって、
この連休は、不動産会社のHPめぐり・・・
おいおい、気が早いぞ〜!
こんなことしてたら、ダメだった時に、ショック大きいぞ〜!!
いいから、さっさとD論書け〜!!!
指導教官が長期出張に出かけているために
完全に止まっている。
毎日毎日
「専門外なんだから、採用される訳がない!」
と思ったり、でも次の日は一転して
「先生の推薦なんだから、通る可能性は高いのかも?」
と思ってみたり。
勝手に翻弄されております。
もしこの話が決まったら
今の家から通うのはキツイ。
なので引越しすることになるのだが
旦那がすでに、新しいマンションを探し始めている。
私もついつい、その作業が面白くって、
この連休は、不動産会社のHPめぐり・・・
おいおい、気が早いぞ〜!
こんなことしてたら、ダメだった時に、ショック大きいぞ〜!!
いいから、さっさとD論書け〜!!!
祖母の夢
2003年1月7日祖母の葬儀で初めて知ったこと。
祖母は、先生になるのが夢で
実際東京で、小学校の教師をしていたことがあるそうだ。
でも一人娘だった祖母は、家の跡継ぎのため
無理やり実家に戻されて、結婚させられたそうだ。
結婚相手である祖父とは幸せに暮らしたが
先生という夢は半ばで断念せざるをえなかった。
そんな中。
私に大学の「先生」の話がきた。
すごいタイミングで。
私は祖母の死を聞いて次の日の29日に飛行機で飛んだ。
その日はお通夜だったのだが
あわただしく手伝いをしている合間に
念のためと思い、携帯からメールをチェックした。
すると指導教官からメールが届いていた。
大学の専任講師の公募の話だった。
一般公募ではなく、推薦という形での公募。
少子化に伴い、大学への就職が困難を極めているこのご時世で
まだ就職活動もしていない私にこんな話がポンと来るなんて
はっきり言って、ものすごい幸運だ。
こんな話がこんなタイミングで来るなんて・・・
私の研究をすごく応援してくれ
読みにくい論文まで一生懸命読んでくれ
私を自慢に思ってくれた祖母。
祖母にとって、私たち姉妹は唯一の孫で
本当にかわいがってくれた。
そんな祖母が、私にこの話を持ってきてくれたんじゃないだろうか?
そう思ったとき、あまり連絡もとらず
決していい孫ではなかった私の罪を
祖母が許してくれたんだ、そんな気がした。
さて、その後が大変だった。
通夜が終わった後、
携帯から指導教官へ応募したいという旨をメールしたのだが
すると次の日、葬儀の前に再びメールチェックすると
指導教官から、1月5日までに相手に着くように
履歴書等の書類を送りなさい、というメールが来ていた。
・・・5日!?
だって、明日飛行機で羽田に帰って、
そのまままた飛行機で旦那の実家へと飛ぶ予定なのに・・・
3日までは家に帰れないのに・・・
年始ということを考えると、3日に家に帰ってから出すのじゃ間に合わない。
仕方がないので、急いで明日の飛行機をキャンセルし、
今晩中に帰れる飛行機を予約する。
最終の飛行機がなんとかとれて
急いで帰宅。
その後家で朝6時までかかって書類を作成し
少し寝てから準備をして家を出発し
履歴書用の写真を羽田空港内の写真屋で撮った。
しかし大晦日で羽田空港内の郵便局は閉まっていたので
結局旦那の実家まで行ってから
お義父さんに頼んで郵便局まで連れて行ってもらって
速達で出した。
・・・我ながらよくやった。
本当に忙しかった。
まあ今、冷静に考えると
この専任講師の話、
私の専門外のポストだし
私にこの分野の業績はないし
本当に採用されるかは分からない。
・・・いずれにしても、祖母のお蔭。
その思い込みは揺るがない。
祖母は、先生になるのが夢で
実際東京で、小学校の教師をしていたことがあるそうだ。
でも一人娘だった祖母は、家の跡継ぎのため
無理やり実家に戻されて、結婚させられたそうだ。
結婚相手である祖父とは幸せに暮らしたが
先生という夢は半ばで断念せざるをえなかった。
そんな中。
私に大学の「先生」の話がきた。
すごいタイミングで。
私は祖母の死を聞いて次の日の29日に飛行機で飛んだ。
その日はお通夜だったのだが
あわただしく手伝いをしている合間に
念のためと思い、携帯からメールをチェックした。
すると指導教官からメールが届いていた。
大学の専任講師の公募の話だった。
一般公募ではなく、推薦という形での公募。
少子化に伴い、大学への就職が困難を極めているこのご時世で
まだ就職活動もしていない私にこんな話がポンと来るなんて
はっきり言って、ものすごい幸運だ。
こんな話がこんなタイミングで来るなんて・・・
私の研究をすごく応援してくれ
読みにくい論文まで一生懸命読んでくれ
私を自慢に思ってくれた祖母。
祖母にとって、私たち姉妹は唯一の孫で
本当にかわいがってくれた。
そんな祖母が、私にこの話を持ってきてくれたんじゃないだろうか?
そう思ったとき、あまり連絡もとらず
決していい孫ではなかった私の罪を
祖母が許してくれたんだ、そんな気がした。
さて、その後が大変だった。
通夜が終わった後、
携帯から指導教官へ応募したいという旨をメールしたのだが
すると次の日、葬儀の前に再びメールチェックすると
指導教官から、1月5日までに相手に着くように
履歴書等の書類を送りなさい、というメールが来ていた。
・・・5日!?
だって、明日飛行機で羽田に帰って、
そのまままた飛行機で旦那の実家へと飛ぶ予定なのに・・・
3日までは家に帰れないのに・・・
年始ということを考えると、3日に家に帰ってから出すのじゃ間に合わない。
仕方がないので、急いで明日の飛行機をキャンセルし、
今晩中に帰れる飛行機を予約する。
最終の飛行機がなんとかとれて
急いで帰宅。
その後家で朝6時までかかって書類を作成し
少し寝てから準備をして家を出発し
履歴書用の写真を羽田空港内の写真屋で撮った。
しかし大晦日で羽田空港内の郵便局は閉まっていたので
結局旦那の実家まで行ってから
お義父さんに頼んで郵便局まで連れて行ってもらって
速達で出した。
・・・我ながらよくやった。
本当に忙しかった。
まあ今、冷静に考えると
この専任講師の話、
私の専門外のポストだし
私にこの分野の業績はないし
本当に採用されるかは分からない。
・・・いずれにしても、祖母のお蔭。
その思い込みは揺るがない。
母の祖母への想い
2003年1月6日祖母が亡くなってから
毎日夜になると
自分がいかにいい孫じゃなかったか
どうしてもっと連絡をとらなかったのかと
その罪の深さに圧倒されて眠れなかったけど
初七日も終えて
もう早や、段々そんな思いも薄れてくる。
・・・死ぬのって、さみしい。
私でさえこんなに後悔の嵐なのに
母は、どんなだろう?
私は、知っている。
母が祖母にどんな仕打ちをしていたか。
祖母が病院に入ってから
私がお見舞いに行ったのはたった一度だったけど
そのときにかなりのショックをうけた。
変わり果てた祖母の姿にも驚きを隠せなかったけど
その祖母に対する母の仕打ちにショックを受けた。
ぺちぺちとほっぺたを叩いたり
腕が痛いと訴えているのにさっさと着替えろと怒ったり
うちにつれて帰ることは出来ないから、施設に入れることはできないかと
祖母の前で病院の職員の人と平気で話したり
仲の悪い母の弟の悪口を言いまくったり。
見ているのが辛かった。
何も実の母親にこんな扱いをしなくても。
私たちがいる前でもこうなのだから
いない所ではもっとひどいことをしていたに違いない。
祖母はストレスがたまっていたのだろう、
自分の排泄物を壁中にぬりたくったり
明日退院という人にお茶碗を投げつけたり
していたらしい。
お願いだから、もうちょっとやさしくしてあげて。
何度もそう母親に言おうとしたか知れない。
でも介護という問題に
何もしていない、経験もない私が口を出せないと
あえて何も言わなかった。
そんな中で、祖母はあっけなくこの世を去った。
私は・・・
祖母には悪いけれど
母が心配だった。
どんなにか生前の祖母にしたことを悔やんでいるかと。
その後悔の大きさに打ちのめされていないかと。
かけつけた私の前で母は、
しっかりとしていて
通夜や葬儀の準備をせっせとしていた。
結構平気なんだ、そう思った。
でも私と妹に、祖母の思い出話をしていた時にぽつりと言う。
「あなたたちに変わり果てたおばあちゃんを見せるのが切なくてねえ。」
・・・そうなのだ。
きっと母は、私たちの前だからこそ
私たちに昔のしゃんとした祖母を少しでも見せたかったからこそ
祖母に対してあんな扱いをしたに違いない。
実際のところは分からないけれど
そういう解釈を手に入れたことで
私は少しだけ胸のつかえがとれた。
毎日夜になると
自分がいかにいい孫じゃなかったか
どうしてもっと連絡をとらなかったのかと
その罪の深さに圧倒されて眠れなかったけど
初七日も終えて
もう早や、段々そんな思いも薄れてくる。
・・・死ぬのって、さみしい。
私でさえこんなに後悔の嵐なのに
母は、どんなだろう?
私は、知っている。
母が祖母にどんな仕打ちをしていたか。
祖母が病院に入ってから
私がお見舞いに行ったのはたった一度だったけど
そのときにかなりのショックをうけた。
変わり果てた祖母の姿にも驚きを隠せなかったけど
その祖母に対する母の仕打ちにショックを受けた。
ぺちぺちとほっぺたを叩いたり
腕が痛いと訴えているのにさっさと着替えろと怒ったり
うちにつれて帰ることは出来ないから、施設に入れることはできないかと
祖母の前で病院の職員の人と平気で話したり
仲の悪い母の弟の悪口を言いまくったり。
見ているのが辛かった。
何も実の母親にこんな扱いをしなくても。
私たちがいる前でもこうなのだから
いない所ではもっとひどいことをしていたに違いない。
祖母はストレスがたまっていたのだろう、
自分の排泄物を壁中にぬりたくったり
明日退院という人にお茶碗を投げつけたり
していたらしい。
お願いだから、もうちょっとやさしくしてあげて。
何度もそう母親に言おうとしたか知れない。
でも介護という問題に
何もしていない、経験もない私が口を出せないと
あえて何も言わなかった。
そんな中で、祖母はあっけなくこの世を去った。
私は・・・
祖母には悪いけれど
母が心配だった。
どんなにか生前の祖母にしたことを悔やんでいるかと。
その後悔の大きさに打ちのめされていないかと。
かけつけた私の前で母は、
しっかりとしていて
通夜や葬儀の準備をせっせとしていた。
結構平気なんだ、そう思った。
でも私と妹に、祖母の思い出話をしていた時にぽつりと言う。
「あなたたちに変わり果てたおばあちゃんを見せるのが切なくてねえ。」
・・・そうなのだ。
きっと母は、私たちの前だからこそ
私たちに昔のしゃんとした祖母を少しでも見せたかったからこそ
祖母に対してあんな扱いをしたに違いない。
実際のところは分からないけれど
そういう解釈を手に入れたことで
私は少しだけ胸のつかえがとれた。
祖母は最期に何を・・・?
2002年12月28日今朝、母方の祖母が亡くなった。
先月危篤になった父方の祖母のことばかり気にしていて
まさか母方の祖母が亡くなるとは思わなかった。
今朝、起きてこなかったそうだ。
永遠の眠りに、ついたそうだ。
今日は、その地に飛ぶための飛行機の予約や
その後の旦那の実家への帰省の準備で
てんてこ舞いだった。
そんな中でもずっと考えていたことは一つ。
祖母は、死ぬことを自ら悟った時
最期に、なにを、思ったのだろう?
明日朝両親と母方の祖母の住んでいた地に飛び
31日に羽田に帰ってきて
その足でさらに飛行機で旦那の実家へ。
明日家を出たら、3日まで帰ってこないことになる。
こんな年末年始になるなんて。
先月危篤になった父方の祖母のことばかり気にしていて
まさか母方の祖母が亡くなるとは思わなかった。
今朝、起きてこなかったそうだ。
永遠の眠りに、ついたそうだ。
今日は、その地に飛ぶための飛行機の予約や
その後の旦那の実家への帰省の準備で
てんてこ舞いだった。
そんな中でもずっと考えていたことは一つ。
祖母は、死ぬことを自ら悟った時
最期に、なにを、思ったのだろう?
明日朝両親と母方の祖母の住んでいた地に飛び
31日に羽田に帰ってきて
その足でさらに飛行機で旦那の実家へ。
明日家を出たら、3日まで帰ってこないことになる。
こんな年末年始になるなんて。
朦朧とした中での野心
2002年12月23日風邪は治らない。
朝や日中は割とスッキリしているのだけれど
夜になると決まって発熱。
38℃近くまで上がり
さんざんノドの痛みと、熱からくる腰の痛みに呻いた後
午前3時ごろやっと就寝。
そんな日々が続いている。
今も微熱が出始めているのだが
どうせ眠れないことは分かっているので
寝室から出てこの日記を書いている。
昨夜までと違って明日から仕事のため朝が早い旦那を
巻き込むことはできないから。
ここ数日
家から一歩も出ていない。
元気な時にはベランダに出て布団を干したりするけれど
それだけでもしんどい。
しかし何より
勉強ができない状況は本当に焦る。
ここのところ朝型勉強のペースがいい具合にできていただけに
このロスは堪えるな・・・
ただし
ふと、ほんとうにいきなり、
今後の研究のヒントが閃いたりする。
しかも、今書いている博論内で繰り広げているような
狭い視野の中ではなく
より広い視野の中での私の研究の意義、といったようなものが。
これは、今すぐ博論の中で
十分生かせるようなものではないかもしれない。
けれど、博論を書き終わった後で
どのような研究をやっていくか
その方向性に実に大きな示唆を与えるものだ。
同時に、こんな状態でも
やる気、というより「野心」は
フツフツと沸いてきている。
それは、1つに、尊敬する先生から
「あなたの研究で(科研費を)1千万はとれる」
と将来の共同研究を持ちかけられたことが大きい。
もう1つは、今度かなり大きな場での
発表の機会が与えられそうだからだ。
前者は飲み会の席での話だし
後者は指導教官がぽろっと言ったことにすぎないから
実現の可能性はかなり低いのだけれど
少しずつ、単なる学生ではなく
1人の研究者として自立していく
そんな道が見えてきたような気がする。
朦朧とした頭で何故アイデアが浮かんだり
野心が沸いてくるのかは不思議だが
一度こうやって博論執筆から離れてみることが
実は必要だったのかもしれない。
そう思えば今回の長い風邪も、有意義な気がしてくる。
これまでは、この間、既婚者のくせに隙を見せた私に
バチが当たったのだと
ひたすらネガティブに捉えていたのだけれど。
そうそう、旦那とのその後だが
本日ひらまつ系レストランでのクリスマスランチを
前から旦那が予約していてくれたのに
私の風邪が回復しなかったため、やむなくキャンセルした。
彼のボーナスでいい思いをさせてくれようとしていた
その気持ちをふいにしてしまった。
なのに彼は怒るでもなく、
治ったら行けそうなレストランをさらに探し始めてくれたのだ・・・
それに対する申し訳なさに
私の怒りもあっという間に冷めてしまった。
まあこれが、毎日を一緒に過ごすということなのかもしれない。
いいところも悪いところもあるけれど
プラマイゼロ、ではなく
やっぱりプラスへの大きな偏りを認識する、
そんな日々。
朝や日中は割とスッキリしているのだけれど
夜になると決まって発熱。
38℃近くまで上がり
さんざんノドの痛みと、熱からくる腰の痛みに呻いた後
午前3時ごろやっと就寝。
そんな日々が続いている。
今も微熱が出始めているのだが
どうせ眠れないことは分かっているので
寝室から出てこの日記を書いている。
昨夜までと違って明日から仕事のため朝が早い旦那を
巻き込むことはできないから。
ここ数日
家から一歩も出ていない。
元気な時にはベランダに出て布団を干したりするけれど
それだけでもしんどい。
しかし何より
勉強ができない状況は本当に焦る。
ここのところ朝型勉強のペースがいい具合にできていただけに
このロスは堪えるな・・・
ただし
ふと、ほんとうにいきなり、
今後の研究のヒントが閃いたりする。
しかも、今書いている博論内で繰り広げているような
狭い視野の中ではなく
より広い視野の中での私の研究の意義、といったようなものが。
これは、今すぐ博論の中で
十分生かせるようなものではないかもしれない。
けれど、博論を書き終わった後で
どのような研究をやっていくか
その方向性に実に大きな示唆を与えるものだ。
同時に、こんな状態でも
やる気、というより「野心」は
フツフツと沸いてきている。
それは、1つに、尊敬する先生から
「あなたの研究で(科研費を)1千万はとれる」
と将来の共同研究を持ちかけられたことが大きい。
もう1つは、今度かなり大きな場での
発表の機会が与えられそうだからだ。
前者は飲み会の席での話だし
後者は指導教官がぽろっと言ったことにすぎないから
実現の可能性はかなり低いのだけれど
少しずつ、単なる学生ではなく
1人の研究者として自立していく
そんな道が見えてきたような気がする。
朦朧とした頭で何故アイデアが浮かんだり
野心が沸いてくるのかは不思議だが
一度こうやって博論執筆から離れてみることが
実は必要だったのかもしれない。
そう思えば今回の長い風邪も、有意義な気がしてくる。
これまでは、この間、既婚者のくせに隙を見せた私に
バチが当たったのだと
ひたすらネガティブに捉えていたのだけれど。
そうそう、旦那とのその後だが
本日ひらまつ系レストランでのクリスマスランチを
前から旦那が予約していてくれたのに
私の風邪が回復しなかったため、やむなくキャンセルした。
彼のボーナスでいい思いをさせてくれようとしていた
その気持ちをふいにしてしまった。
なのに彼は怒るでもなく、
治ったら行けそうなレストランをさらに探し始めてくれたのだ・・・
それに対する申し訳なさに
私の怒りもあっという間に冷めてしまった。
まあこれが、毎日を一緒に過ごすということなのかもしれない。
いいところも悪いところもあるけれど
プラマイゼロ、ではなく
やっぱりプラスへの大きな偏りを認識する、
そんな日々。